いつもどこかに痛みを感じるバイオリン弾きのためのブログ

アレクサンダー・テクニークでラクになる日々

みんながご馳走を食べられる方法は?

こんにちは!バイオリンのMiyukiです。

休日に、美味しいランチを食べに行きました。
(ここ!→柿安 三尺三寸箸)

テーブルに、お店の名前の由来が説明された紙がありました。

「目の前に並んだ素晴らしいご馳走の数々。
手元には、三尺三寸(およそ1m)もある長〜いお箸。
この箸を使って、あなたならどうやって食べますか?」

「極楽では、向かい合った相手の口へご馳走を運び
食べさせてあげるそうです。
地獄では、どうにかして自分の口に持っていこうとして
いつまでも食べることができないそうです。」

なるほどー。

このお話は
「他人のために生きることによって自分も幸せになれる」
という仏経の教えなのですが

それをきっかけに
目的に至る手段と望みについて考えることができて
面白かったのでシェアしますね。

☆「目的に至る手段」は
FMアレクサンダー氏がミーンズウェアバイと呼んで
大切に考えていたものです☆

ひとつは
与えられたものは同じで、使い方が違うだけということ。

地獄の人たちは
ご馳走を口に運んで食べるという目的に合ったお箸の使い方を知らないから
ご馳走もお箸もあるのに食べられなくて不幸なんですよね。

「向かい合った相手の口へご馳走を運び、食べさせてあげる」のは
与えられた状況の中での、目的に至る手段。
それを知っているかどうかで、幸せが決まる…。
ということが起きていると思いました。

私がBodyChance-Musicで学び始めてからというもの
バイオリンを弾くとあちこち痛かったのが
どんどん解決されてきているのは
自分の身体の使い方を学んでいるからです。

人間の構造は(基本的にほぼ)おんなじで
そのデザインを知っているかどうか
そのデザインに沿った動きをするかどうかの違いが
パフォーマンスの結果やラクさや自然さ
果ては美しさにまで影響するということを
日々感じています。

もっとたくさんの人に知ってもらいたいなあ。


もうひとつは
望みを前に、何を見るのかということ。

ご馳走があって、お箸もある。
望みがあって、手段もある。

ただ、今手にしている道具が必ずしも最適とは言えない。
そのときに、何を見るのか。
嘆き続けるのか
何かを変えようとするのか。

極楽の人たちは
ふと周りを見たら
自分以外にも同じような状況の人たちがいるって気づいて
アイディアを出し合ったりしながら
みんなでご馳走を食べられる方法を見つけていったのかな。
そんなふうに想像しました。

だから
色々なことが見えている自分でありたい。

持っている選択肢に気づくことや
適切なサポートを求めることや
新しいアイディアに対してオープンでいることを
大切にしたいと思いました。


BodyChance-Musicで学んでいてよかったと思うことは
今いるところから
望みに向かって一歩踏み出し続けるための選択肢が
どんどん増えていることと

その歩みに、仲間がいることです。
感謝(^^)

美味しいご飯を食べながらそんなふうに考えて
楽しくなりました♪